【鎌ケ谷市】次の塔の建立は2025年。全国でもなかなか残っていない貴重な庚申講が粟野地区で続いています。

新鎌ヶ谷駅から船取線には出ないで、住宅街を抜けると徒歩9分で粟野地区にある八坂神社にたどり着くことができます。お車で船取線から向かう場合は東邦鎌ヶ谷病院方面に向かい、粟野十字路を左折し、東武アーバンパークラインの線路を越えた左手に見えてきます。

八坂神社

八坂神社の鳥居の奥には大木が茂り、木陰が出来ています。

粟野庚申塔群

八坂神社の境内には庚申塔と書かれたものや三猿の彫刻があるものなどがずらりと並びます。これが、鎌ケ谷市指定文化財でこの粟野地区に江戸時代から伝わる庚申塔群とよばれるものです。最も古いものは元禄(げんろく)12年(1699年)のものということで、2023年から数えると324年前のものが現存しています。
粟野康申講についての看板

詳しい説明の書かれた看板も立っていました。看板によると現在まで1845年と1850年の2回を除き、5年に一度、この庚申塔が建立が継承されているそうです。どうしてそんなに長い間、庚申塔の建設が続いているのかを、鎌ケ谷市郷土資料館で教えて頂きました。
粟野庚申塔群

看板にも書かれていましたが、庚申塔の建立は庚申講と呼ばれる住民の皆さんの集まりでお金を出し合い、続けられています。現在は庚申塔を建てることが主な活動になっていますが、元々は真夜中まで飲食をする楽しいイベントだったようです。

八坂神社の木々

中国から伝わった道教の教えに、人の体内にいるとされる「三尸(さんし)の虫」が60日毎にめぐってくる庚申の夜、人が寝ている間に体の中から出て天に上って天帝に日頃の悪事を報告し、命を縮められるという言い伝えがあるそうです。昔の人々はそれを防ぐため、庚申の夜は眠らずにいれば、早死にせずに長生きできると信じて、地域の人同士で集まり、飲食をして過ごしたそうです。

八坂神社の境内

境内の大きな木々の間からは、光が差し込み、研究者ではなくてもこれまで庚申塔群の建立が続いて来たことに歴史の重みが感じられます。次の庚申塔の建立は2025年を予定されているそうです。鎌ケ谷市内に残る江戸時代から続く歴史を間近に感じてみませんか?

鎌ケ谷市指定文化財の粟野庚申塔群の建立が今も続く八坂神社はこちら↓

あじさい
 

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